2015年08月09日

当事者にしか分からないこと




彼女はベッドで震えていた。
すこしの沈黙のあとで彼女は「幸せが怖いよ」とつぶやいた。
まるで鏡に向かう独り言のように。
「大丈夫。誰も壊したりしないしぼくが壊させやしない。」
彼女の名はしず子、ぼくはしずと呼んでいる。
しずの過去はあまり幸せなものではなかった。
まるでよくある安っぽいテレビのドキュメンタリーのような不幸せ。
彼女は16の頃に高校を中退して家を飛び出してひとりで生きる事を選んだ。
そしてその先に選び取った数え切れないほどの多くの彼女の選択は、全てが最良では無かったように思えた。まるで世界が彼女だけに不幸を背負わせようとしているかのように。
その時のぼくはハタチになったばかりで若かった。
彼女はぼくより2学年上で22歳になっていたが同年代の女性と比べるととても疲れているように見えた。
でもそんなしずがぼくにとっては美しく汚れの無いものに見えた。
ぼくだけが知っているしず。ぼくしか知り得ないしず。
この先に待ち受ける困難もぼくたちなら乗り越えられる自信があった。

『幸せが怖い』と彼女は書いた。
その手紙を置いて彼女は消えた。
ぼくは捜した。捜して捜して捜し抜いて。探し回って。
ぼくは疲れて。疲れて。疲れて。そして疲れ果ててしまって。
1年が過ぎ、歩き疲れたぼくはやがて彼女を憎しみ、自分自身を恨んだ。

20年が経った今も、
ぼくの何が間違っていて、
彼女の何が正しかったのかを理解できないでいる。


(了)



どうも、隊長です。

噓で固めた人生を送っています。

どこかの誰かが『真実はひとつだけしかないけど嘘なら100でも200でも無限大に増やせるから強いのだ』と言った人が居た。たいへん感心した。同時に無限大につき続けなければならない苦痛な噓の数々を思う。

さて、戦後70年と言うことで戦争を知らない分際で戦争を語るのは大変心苦しいですが少しだけ触れておきます。
と言いましても安保法案とかはどうでも良いので語るのはぼくの知る身内の真実だけです。
うちのお祖父ちゃんは大東亜戦争に行きました。
もちろん職業軍人でもなく志願兵でもありません。
何も無い田舎の農家です。そんな所から駆り出された訳ですね。
当時のお祖父さんは5人目の子供が生まれたばかりでした。その時の赤子がぼくの父親です。
テレビや新聞では『若い命が散った、若者が駆り出され、』と言う話ばかりにスポットを当てていますがぼくからするととても違和感を覚える訳です。あと、何かと言えば『特攻隊』それも若い人ばかり。不幸ですし悲惨なんですが航空隊で戦い散った人たちはちゃんとした戦死ができている。ところがあまりスポットが当たらない陸軍の戦死者の数は戦って亡くなった人よりも物資が届かず食料不足で餓死した人が多い訳です。それは名誉の戦死と呼ばれた人々に比べると余りにも凄惨な話です。
お祖父さんの赴いた先はビルマでした。(現ミャンマー)
最終的にはビルマで終戦捕虜となり戦後何年後かに帰国しました。
※ビルマの日本兵捕虜の過酷さは調べるとわかります。
終戦後に帰らないうちのお祖父さんは近所からは死んだんだ、と噂されていたそうです。
親戚の叔父さんは片足を無くしましたが(鉄砲が貫通)一足先に帰国していました。
ぼくのお祖父さんは物静かで温かい人だったと記憶しています。
(ぼくが小学生の時に喘息で亡くなっています)

あるときうちの母親が祖父さんに言った、いや聞いたんです。

「戦地はさぞかし辛かったですよね」 母

それに対するお祖父ちゃんの答えはこうでした。

「うん、8割は辛かったね。でも残りの2割は楽しかったな。」


2割は楽しかった???


この意味がぼくには全く理解できなくて終戦間際のそれも陸軍のビルマ出征ですよ。
終戦したらしたで過酷な捕虜労働に従事。いったいどこに楽しさを見出せると言うのだ。


ただ、最近少しだけ、、
出征した当時のおじいちゃんと同じぐらいの年齢になったいま、、
おじいちゃんの言った事がなんとなくだけど、、
わかるような気も、少しだけするのです。。


祖父さんが生まれて暮らしていたのは本当にど田舎です。今でものどかな田園風景です。ただ起きて、田畑を耕し、子を育て、日暮れと共に眠る。そうして老いて死んでゆく人生。
そんな毎日が戦争とは言え環境の変化が起きてほんの少しだけの楽しさもあったのかな、と想像するのです。ただのぼくの思い込みかもしれませんけどね。あとはきっといつ死ぬかも分からない仲間たちと過ごす日々とかね。ぼくの年代だと今まで戦争体験者と直接話ができる機会が多くありました。そこで聞く話はけして汚いだけでもなくかと言ってキレイごとだけでもない本音が聞けました。それはテレビや新聞で見るような話とはまったく違ったりもするんですよ。



なにしろ当事者にしか分からない事って色々あると思うんですよね。




おじいちゃんと、
戦地に散ったおじいちゃんの仲間たちの魂の安らぎを祈りたいと思います。






最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。



でわ。。
posted by 隊長 at 16:27 | Comment(2) | 真面目な話
この記事へのコメント
ビルマとゆうとインパール作戦ですな。わしの祖父もインパール作戦に参加しておりまして、無傷で帰国しております。天皇陛下万歳
Posted by 丸太 at 2015年08月09日 23:36
丸太さん〜

祖父殿、ご無事で何よりでした。

生きてこそ、です。
Posted by 隊長 at 2015年08月10日 14:23
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]